共存社会

AIのデメリットは制御装置の役割なのか

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色々ありますが、身近にAIで便利になったことは確かにあります。個人的にはレシートの写真を読ませることでいつ、何をいくらで買ったかを判別して伝票の基本的な入力まで行っていますがとても助かっています。便利なAIですが、できないもしくは苦手とされていることもあり「感情を持てない」ということに集約されるのではないかと考えています。

感情を持てないということは、同時に感情に共感をすることもできないようです。文学をAIに読ませて内容を理解させる技術がないかいろいろと調べてはみたのですが、2021年現時点においては、まだ難しいという感触です。例えば「彼女はルイ・ヴィトンのバックを持っていた」という表現でも林真理子の文章と、村上春樹が書く文章ではニュアンスは異なってきますし、時代背景や文化が影響するため機械的には難しいのかもしれません。それだけならば人の感情というものも多くの見聞きした情報(データ)を基にしているために感情のようなものを作ることはできるのではないかと思いますがなにかがたりないような。

色々考えた結論として喜怒哀楽、その根幹にある欲望がAIにはないのではないかと。SNSの「いいね」を増やす目的を果たすために過去のデータを基にどのような投稿をするかを導くことはできるかもしれませんが、そこでは増やすことが目的となっていて喜ぶという感情が発生するわけではないです。そもそも承認欲がないので。

『欲望』を解明してAIに持たせることができれば結果として感情を持たせることができるのかもしれません。問題解決の喜びを共感してくれるAIがチャットポッドに入っていたらもう少し丁寧な対応をしてくれるかもしれません。余談ですがコロナ以降チャットポッドを取り入れたサイトを多々見かけますが問題解決まで行けたことがほとんどありませんが質問データ収集中なのでしょうか。データ収集して改善していくのならいいですが、設置してそれだけになっているとチャットポッド=使えない物という認知になってしまうのではないかが心配です。話がそれてしまいました、ただし欲望を持たせると争いが起きてしまう将来も予想されますね。

感情(≒欲望)を持っていないのはデメリットとしてとらえるより暴走のストッパーとなっているのかとも思えてきます。まだまだ発展途上のAIと今後どのように共存することになるのでしょうか。

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