アート

デジタルカウンターが作る永遠の生命体

「アート」のカテゴリで、12月13日まで開催中の「宮島達男 クロニクル 1995-2020」の鑑賞記録です。

世界的評価を誇る日本人現代アーティストとして、現在森美術館で開催中の「STARS展」のメンバーともなっている宮島達男の個展「宮島達男 クロニクル 1995-2020」が千葉市美術館で開催されている。

宮島達男は作品制作のテーマとして

  • それは変化し続ける
  • それはあらゆるものと関係を結ぶ
  • それは永遠に続く

とし、デジタルカウンターという極めて無機質な物を素材として、生命の拍動を生み出している。作品の中でカウントするLEDは9~1、そして無の暗黒を延々とカウントし続け、顕微鏡の中で活動し増殖する微生物、空から眺める都市で生活する人々、夜空の瞬きなど様々なものを連想させる。

今回の個展は2フロア構成となっており前半はパフォーマンス映像やプロジェクトをメインに「デジタルカウンターはどこに行ったの?」と引き付けて、後半で一気に見せる演出だった。

前半のパフォーマンス映像やプロジェクトに関しては「現代美術とは何か」というテーマを改めて我々に提示しているようにも思えた。

「Counter Voice」ではLEDで行っていたカウントダウンを宮島達男本人、もしくは多種の国籍、言語の男女が数字を叫び(生)、ワイン、もしくは墨に顔を沈める(死)を繰り返す。刻一刻と変化をする表情、衣服、声調といったものは画面を通してみるのではなく体感してこその価値だろう。

「時の蘇生・柿の木プロジェクト」は長崎で被爆しながらも生き残った一本の柿の木から生まれた「被爆柿の木2世」の苗木を世界中の子どもたちに手渡し平和と命の大切さを学ぶアートプロジェクトである。誤解を生じる表現かもしれないが、この作品を見て現代社会におけるアートと事業の融合もしくは再統合と感じた。

「アート」と「事業」は相いれないものと感じるかもしれないが、芸術はもともと建築物などの装飾として発展したもので、システィナ礼拝堂建設の内装という事業によってミケランジェロによる天井画は生み出され、日本の多くの障壁画は城の建設事業とセットとして誕生している。その後純粋芸術(ファインアート)として独立したが、再び芸術から事業への融合が起きているのではないだろうか。

ソーシャルビジネスという語も定着してきた昨今であるが、SDGs(持続可能な開発目標)や環境問題などの社会的課題に対して事業(ビジネス)としての取り組みが進められている。芸術家がアートプロジェクトとして課題そのものや独自視点による気づきを発信をしていく。ここには共通のベクトルが存在するのではないだろうか。

 後半のLED作品群は個々の作品は他の展覧会などで見たことのある作品も多数あったが一堂に会するとやはり圧巻である。広い展示室内でデジタルカウンターがそれぞれのライフタイムで数字を刻み消滅し、再び復活する。

作品鑑賞と併せて解説を読むと、人工生命の研究から生まれた作品(Lifeシリーズ)、過去の陰惨なホロコーストの歴史から生み出された(Time Train)、複雑に絡まりあい脆さを持った現代社会を象徴する「C.F.シリーズ)など各作品の着想の源泉を知り、再度作品を見ると、初見とは異なる視点を持つことができる。

中でも「C.T.C.S.」と名付けられた2つの作品が特に印象に残った。
鏡の中で赤、もしくは青く光るLEDがカウントをしているがそれぞれの鏡が異なる角度で異なる風景を映しこんでいる。鑑賞者は作品と対峙するときに、作品の一部となった自分自身や周囲の風景を目にする。眺めていると徐々に、自己と作品の境界が曖昧になり関係を結び、映し出される光景は変化し続け永遠に続いていくという宮島達男の作品コンセプトを体感できる作品であった。

「現代アートが分かりにくい」というのは、そこに提示されたメッセージに答えがありそれを探せば正解。とするなら難しいかもしれない。しかしながら現代社会において正しい回答のないものが多数存在するように現代アートのメッセージにも正しい答えはないのではないだろうか。まずは「綺麗」「面白い」「凄い」といった生の感情を楽しむこと、そのうえで生み出された背景を知り、興味を深め、何かを考える。

「分かる」より「感じる」が現代アートの楽しみの一つだろう。

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